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渋谷の弁護士吉田悌一郎

私の酒癖遍歴②

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<毎日更新1419日目>

 

結局、酒など飲んでも良いことはない。

 

 

身体にも良くないし、金も時間も膨大に浪費することになる。

 

 

「今までの人生でいくら酒につぎこんだか」なぞいう不毛な質問は好まないが、この50年の人生で費やした金額は、それこそ「家が一軒建つのでは?」というのもあながち絵空事とは言えまい。

 

 

最近の若い人は、己の体質の有無に関わりなく、酒を飲む人が減っているというのも、至極頷ける話ではある。

 

 

しかし、人生というものは決して平たんではなく、どんなポジティブバカでも、ハッピーなだけの人生などあり得ない。

 

 

ときに冷徹なる現実を、ほんの一時でも忘れたくなることがある。

 

 

こう書くと、自堕落な酒飲みの自己弁護のようしか聞こえないが、私のような弱い人間には、やはり酒が必要なのである。

 

 

とあれ、30代の頃に堪能した、一人で酒場に出入りし、そこの店主や常連客とも和気藹々と振る舞う俄か「カッコの良い酒飲み」「社交的な自分」は幻想だった。

 

 

40代に入ると、いろいろなものが燻んできた。

 

 

様々な事情から、少々経済的に困窮する事態にまず陥った。

 

 

それから、月並みだが、私のような人間も、結婚もし、子どもも生まれてみると、そうそう「一人飲み」なぞに出て行けなくもなってくる。

 

 

いや、実のこと、「一人飲み」は細々と続けていた。

 

 

だが、その趣向は大きく変わり、私が矛先を向けたのは、所謂「大衆酒場」というやつだ。

 

 

この「大衆酒場」の良いところは、とにかく安く飲めるところだが、それだけではない。

 

 

40代の一時期、私はある種仕事上の行き詰まりもあり、少々疲れ果てていた時期もあった。

 

 

そして、この「大衆酒場」というのは、そんな似非哀愁を漂わせている自分を一人慰めるのに極めて都合が良かった。

 

 

私が好んで出掛けて行ったというのは、上野や赤羽、大森といったいわば「大衆酒場」の聖地と呼ばれる各所だが、この「大衆酒場」に充満するところの、あの「ダメ人間」感的空気は、当時の私にとって実に居心地の良い場所だったのである。

 

 

こう言っては「大衆酒場」に失礼千万だが、なんか、現実世界でどれだけダメな人間であっても、あそこでは許される、そんな無言の空気に満ちている。

 

 

もちろんそこでは、かつて30代の頃に粋がってやっていたように、見ず知らずの常連客と親しく語らうなぞいう無粋なことはしていない。

 

 

誰一人としてそんな行動を好む者はいない、「ワケアリ」男たちの、それでいて無言ながらも傷を舐め合う「優しい」空間なのだ。

 

 

「大衆酒場」に時折身を置き、一人でボーっとホッピー(これもまた大衆酒場発祥の飲み物だが)のグラスを傾け、酔いに身を任せる。

 

 

そんな密かな現実逃避の時間を、この時期しばし持っていたことは事実である。

 

 

だから、「大衆酒場」には基本一人で行く。

 

 

誰かと連れ立って行くなどということはまずない。

 

 

これも所謂「一人飲み」には違いないが、昔私が憧れていたような格好良い男の一人飲みには程遠い。

 

 

根が極めて甘い、当時の私にとっての止むに止まれぬ、似非「ワケアリ」男の一人酒場放浪なのである。

 

 

だが、そんな似非哀愁男の「大衆酒場」巡りも、しばし中断を余儀なくされる仕儀と相成った。

 

 

子どもが小さく手がかかる時期だったなぞ言えば聞こえは良いが、実のところ、仕事の方がいよいよ不味くなり、それこそ本当に「一人飲み」どころではなくなったからだ。

 

 

向後、相変わらず酒は飲んでいたものの、「一人飲み」はめっきりと減った。

 

 

趣味だった「一人飲み」を減らし、必死の悪あがきの成果か、なんとか仕事上の危機は脱し、今ではどこに飲みに行こうが当面のそのお銭に困る、ということはとりあえずなくなった。

 

 

だが、50歳を過ぎた今、随分と酒が弱くなってしまった。

 

 

なんというか、昔のように、身体の奥底から「酒が飲みたい」という渇望感が湧き起こってくることがない。

 

 

時に思い出したように「一人飲み」にも出掛けてみるのだが、それに伴うワクワク感、ドキドキ感も昔ほどはない。

 

 

「一人飲み」に出掛けても、そこで見知らぬ誰かと話をするなぞいう、かつて社交人ぶってやっていた所作も、いっかな億劫で仕方なくなり、今ではそんな癖は微塵もなくなった。

 

 

悲しいかな、「格好つけたい」という気力も失せたので、バーなどにもサッパリと行かなくなってしまった。

 

 

あれほど外に飲みに「繰り出す」のが好きだった自分が、「外に出るのは疲れるから」なぞ言って、家飲みが非常に心地よく感じる。

 

 

もう亡くなった叔父が昔、「その人の生涯の酒量というのは決まっている」と言っていたことがあるが、私の場合もこれまでの人生でほぼ生涯の酒量を飲み尽くしてしまっているのかも知れない。

 

 

と、ここまで書いてきて、およそ「酒癖」というものは、同じ人間でも年代や置かれた状況によって随分と違うものだと納得した。

 

 

50代に突入し、さしずめ人生の季節においては「晩秋」というところであろうか。

 

 

飲めなくなったとは言え、これまでの人生で数十年培ってきた無益な飲酒癖をすぐと消し去ることはできないので、これからも懲りずに飲み続けるだろう。

 

 

人生の「枯れ時」の酒癖がどんなものになるのか、とくと見定めておきたいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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名前吉田 悌一郎
住まい東京都

Profile

中小零細企業の顧問契約をメインの仕事としています。

中小零細企業が法的トラブルに巻き込まれるのを未然に防止すること、 そして、 情報発信を通じて弁護士の敷居を下げ、中小零細企業にもっと弁護士を利用していただくことを使命として活動しています。

【私のミッション】
中小零細企業の味方であり、中小零細企業のトラブルを「裁判しないで解決すること」をミッションにしています。

中小零細企業のトラブルが、「裁判沙汰」にまで発展すると、経営者の方にかかる時間的・経済的負担が大きく、エネルギーを消耗します。

私は、中小零細企業のトラブルをできる限り未然に防止する、万が一トラブルになっても、それをできるだけ小さいうちに「解決」することで、経営者の方の余計な負担をなくし、本業にエネルギーを傾けていただきたいと考えています。

また、中小零細企業の「お困りごと」に関しては、法律問題という弁護士の職域を超えて、経営コンサルタント(キャッシュフローコーチ)として、経営相談や金融機関融資の支援などを通じて、日本経済を支える中小企業の「お困りごと」全般のお手伝いをすることにも力をいれています。

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