「裁判しないで解決」する建設業・不動産業を多く扱う
渋谷の弁護士吉田悌一郎

【パンドラの箱】親との関係がなぜ悪かったのか

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今日は土曜日なので、ユルいブログで、

と言いたいところですが、少し重く

なってしまったかも(^ ^)

 

 

私と親との関係、ということを

振り返ってみました。

 

 

(可愛らしい私の幼少期の写真)

 

<毎日更新536日目>

パンドラの箱を開く?

あ〜、なんかこういう話は正直あまり

書きたくなかったんですけどね〜。

 

 

しかし、私のブログの師匠である板坂裕治郎さんは

言います。

 

 

自分の扱っている商品なんて、そんなものは「強み」じゃない!

本当の強みは自分自身の中にある。
自分の辛い過去を浄化したとき、それは自分自身の「強み」に変わる!

そんなわけで、私のブログ仲間の間では、

自分のブラックな過去をさらけだす、というのが

流行しております(笑)

 

 

そこで、というわけでもないですが、私も今回、

あまり関係が良くなかった両親とのことについて、

振り返ってみたいと思います。

 

 

実は私、父方の祖父が弁護士、そして

父親は生物学を専門にする大学教授、

という家で育ちました。

 

 

祖父は新潟のちょっとした地主の家系で、

親父はそこの5人兄弟の3番目。

 

 

親父の兄弟やその子ども(私にとっての従兄弟)

には医者もいるという、ちょっとイヤミな家系です(笑)

 

 

こういう家ですから、私の子ども時代は、従兄弟たちも

含めて、

 学校の勉強はできて当たり前!

そんな雰囲気の中で育ちました。

 

 

うちの親やその他の親族も、親戚の誰々はどんな学校に行って、

どこの大学を出てとかそんな話が大好き。

 

 

実際に、私の従兄弟たちは子どもの頃から優秀なのが多く、

母親からはいつも、

 ●●ちゃんはすごくできるのに、アンタは!

と比較されて育ちました。

 

 

それで、私の子ども時代はどうか?というと、このブログでも

何度か書いていますが、特に小学校低学年時代は超劣等生。

 

 

小学校2年生で習う「九九」も、覚えるのがクラスでビリでした。

 

 

普通の家ならば、それほど問題視されないかも知れませんが、

なにしろうちはこういう家ですから、うちの母親の心中も

穏やかではありません。

 

 

劣等生の私を改良すべく、母親による特訓が始まります。

 

 

ところが、うちの母親というのが、これがかなり短気で激情型の性格。

 

 

怒りの沸点を超えると怒鳴る、手が出る。

 

 

この頃は、よく母親に引っ叩かれながら泣きながら勉強させられた

もんです。

 

 

今だったら、いわゆる「教育虐待」とか言われると思いますが、

当時はそんな言葉はありませんし、親が子どもを引っ叩くのは

ある意味そこらじゅうで見られる光景でした。

 

 

当時はむしろ、親が子どもを厳しく育てるのは良いことで、

そうしないと

あそこの家の親は甘い、子どものしつけがなっていない。

とか陰口を言われたものです。

 

 

まあ、当時の親も大変だったんでしょうね。

 

 

最悪だった親との関係

この母親が、何をトチ狂ったのか、劣等生の私に、

中学受験、いわゆる中受(そんな言葉当時なかったけどね)

をさせようと目論みます。

 

 

そこで、私は小学校4年生から中受をめざし、

四谷大塚という大手の進学塾に通うことに

なりました。

 

 

ところが、当然のごとく勉強について行けず、

四谷大塚は半年で中退。

 

 

やむなく私の中受を断念した母親は、今度は私の5歳下の

妹の小学校の「お受験」に情熱を傾けます。

 

 

私と違って出来の良い妹は、見事に母親の期待に答えて

小学校受験に合格。

 

 

ただこの時の私は、

母親のおかしな「教育熱」が妹に向かってくれて、むしろ助かった!

と思ったものでした。

 

 

そんなこんなで、中受を断念した私は、地元の公立中学校に

通います。

 

 

御多分に洩れず、私もこの頃から激しい反抗期を迎えます。

 

 

それこそ、中学時代から大学時代の前半くらいまでの間は、

ありとあらゆる親の嫌がることをやってのけました(笑)

 

 

パトカーに乗せられて補導されたこともあるし、

警察に捕まって親が迎えに来たこともありました。

 

 

当然ながら、親との関係は最悪な状態に。

 

 

この時期は、母親よりも父親との関係が非常に

悪かったです。

 

 

上記の私の幼少期は、母親と比較して存在感が薄かった

父親ですが、私が思春期に反抗期に入ると、

なんとかしてそれを押さえつけようとしてきました。

 

 

もちろん私は激しく反発しました。

 

 

あの頃、なぜあれほど親に反抗したのか、

今これを書いていて、ふと思ったのは、

うちのちょっと特殊な親族の空気に、

うちの親は私の人格や個性を無視して、

無理やりその枠にハメようとした

(と思っていた)。

 

 

それに対して、

 そんな、お前らの思い通りにはならねぇぞ!

そんな反発心があったように思います。

 

 

まぁ、今思うとなんとも子どもじみていますが、

当時の自分はそれなりにもがき苦しんで

いたのかも知れません。

 

 

私の10代の頃は、自分の夢とか、

自分が将来何になりたいか、ということ

よりも、この親が自分にハメようとしてくる枠

からいかに逃れるか、いかにそれをぶち壊すか、

そんなことにずいぶんと無駄なエネルギーを

費やしていたように思います。

 

 

 

 

 

まとめ

というわけで、

今日のポイントは

 

 書きたくない親との関係、というパンドラの箱を開けてしまった!

ということです。

 

 

それで、その後私が現在に至るまで、

両親との関係はどうなったのか?

 

 

それは長くなったので、また明日

ということで!

 

 

 

 

 

 

 

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活動ダイジェスト

昨日は午前中は新宿三丁目ですい臓がん検診、その後新宿で買い物。
午後は事務所に戻って仕事、お客様との打ち合わせなどでした。
夕方は息子の保育園のお迎えに行って、その後習い事(ECC)の送迎でした。

 

 

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裁判しないで解決する
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名前吉田 悌一郎
住まい東京都

Profile

中小零細企業の顧問契約をメインの仕事としています。

中小零細企業が法的トラブルに巻き込まれるのを未然に防止すること、 そして、 情報発信を通じて弁護士の敷居を下げ、中小零細企業にもっと弁護士を利用していただくことを使命として活動しています。

【私のミッション】
中小零細企業の味方であり、中小零細企業のトラブルを「裁判しないで解決すること」をミッションにしています。

中小零細企業のトラブルが、「裁判沙汰」にまで発展すると、経営者の方にかかる時間的・経済的負担が大きく、エネルギーを消耗します。

私は、中小零細企業のトラブルをできる限り未然に防止する、万が一トラブルになっても、それをできるだけ小さいうちに「解決」することで、経営者の方の余計な負担をなくし、本業にエネルギーを傾けていただきたいと考えています。

また、中小零細企業の「お困りごと」に関しては、法律問題という弁護士の職域を超えて、経営コンサルタント(キャッシュフローコーチ)として、経営相談や金融機関融資の支援などを通じて、日本経済を支える中小企業の「お困りごと」全般のお手伝いをすることにも力をいれています。

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