あの「はだしのゲン」の作者
である中沢啓治さんの
「私の遺書」という本を
読みました。
改めて、
「平和」ってなんだろう?
「憲法」ってなんだろう?
と考えてみました。
(今日の「棒人間」 平和は理想??)
<毎日更新830日目>
毎年、
この時期になると、
終戦記念日が近いせいか、
テレビなどでもさまざまな
戦争関連の番組が上映されます。
だから、
というわけでもないですが、
最近、
こんな本を読んでみました。
あの「はだしのゲン」の作者
である中沢啓治さんの著書です。
中沢さんは、
1945年8月6日、
小学校1年生のときに
広島市の爆心地から
約1.3キロメートル地点
で被爆。
ちょうど、
学校の塀の陰になって
奇跡的に助かったと
言います。
しかし、
原爆投下直後の広島は、
それこそ地獄絵図でした。
私が小学生の頃、
地元の図書館に
「はだしのゲン」シリーズが
置いてありました。
しかし、
原爆投下直後のリアルな
とても描写が恐ろしく、
じっくりと読むことが
できませんでした。
大人になってから、
「はだしのゲン」を全巻
大人買いして読んでみて、
改めてこの作品の
素晴らしさに感動
したものです。
被爆した中沢さんは、
とりあえず家族を
探して歩き回り、
同じく奇跡的に生き残った
母親と再会します。
しかし、
母親と一緒に当時自宅にいた
父親と姉、
弟は亡くなりました。
衝撃的だったのは、
幼い弟さんが
亡くなる場面です。
原爆で木造の自宅は
ペシャンコに潰れ、
奇跡的に助かった母親は、
他の家族を救出しようと
試みます。
ところが、
弟さんは重い柱に頭を挟まれて
抜けない状態。
弟さんは足をバタバタさせて
「痛いよ〜」と
泣き叫ぶわけですが、
母親が助けようとしても、
重い柱がびくともせず、
どうにもなりません。
次第に、
「痛いよ〜」と言っていた
弟さんが、
「お母ちゃん、熱いよ〜」
と言い出します。
よく見ると、
つぶれた家をジリジリと
火がつつみ、
炎がふくれ上がってくる。
母親は、
泣き叫ぶ弟の体を抱きしめて、
「お母ちゃんもみんなと一緒に死ぬ」
と言って、
その場に座り込みます。
しかし、
通りかかった近所の人が
母親を無理やり引っ張って
連れ出し、
おかげで母親は助かった
ということです。
目の前で幼い我が子が
焼かれて苦しんで死んでいく、
それを見ていた母親は、
いったいどんな心境
だったのでしょう?
これほど残酷なことが、
この世にあるのでしょうか?
私も小さな子どもがいますので、
この箇所を読んだときは、
本当にやりきれない気持ちで
いっぱいになりました。
もちろん経験はありませんが、
これが「戦争」の現実
というものなのでしょう。
これと似たようなシーンが、
今もウクライナで
繰り広げられているわけです。
原爆で急死に一生を得た
中沢さんは、
その後手塚治虫の漫画
と出会い、
多大な影響を受けて、
自分も漫画家になることを
決意します。
大人になって上京し、
漫画家のアシスタントを
しながら、
自身も漫画家デビューを
果たします。
ただ、
当初はいわゆる「原爆」を
テーマにした漫画は
一切描いていなかった
そうです。
それどころか、
6歳のときに被爆して
目の当たりにした
悲惨な光景を忘れたくて、
被爆した過去を封印
していたそうです。
しかし、
その後広島の母親が亡くなり、
火葬場で母親の遺骨と
対面したとき、
なんと母親の骨が
なかったそうです。
普通なら人間が焼かれれば、
頭蓋骨やら手足やら、
はっきりと骨格は
残っています。
しかし、
被ばくした影響で、
母親の骨は非常にもろい
状態になっていて、
火葬場で焼かれるともはや
形が残らなかった
というのです。
この現実を
目の当たりにしたとき、
中沢さんの中に、
「原爆」に対する大きな
怒りがよみがえります。
原爆というやつは、
大事なおふくろの骨の髄まで
奪っていきやがるのかと。
それからの中沢さんは、
改めて「原爆」の問題を直視し、
原爆被害の実態を世に広める
作品を描き出します。
そして、
あの代表作、
「はだしのゲン」が
生まれます。
「はだしのゲン」は、
雑誌に連載されていた頃、
オイルショックによる
雑誌の紙面縮小や、
出版社の倒産など、
さまざまな困難にぶつかり、
何度も連載の中断を
余儀なくされます。
また、
単行本化する際には、
「政治的色彩が濃い」
ということで、
なかなか単行本を出してくれる
出版社が見つかりませんでした。
しかし、
中沢さんの粘り強い
執筆活動の末、
「はだしのゲン」は
単行本化されて大ヒット、
今では海外にも翻訳されて、
世界中で広く読まれています。
それまで、
原爆の被害の実態をこれほど
リアルに伝えるものが
なかったので、
日本人の間でも、
原爆の被害がほとんど
知られていなかったそうです。
「はだしのゲン」は、
原爆が落とされたあの日の広島が
いったいどのような状態だったのか、
原爆の被害の実態が
どのようなものだったのか、
これをリアルに描き、
全世界に伝える歴史的な
作品となったのです。
こういう本を読むと、
改めて「戦争」とか
「平和」といった問題を
イヤでも考えさせられます。
日本国憲法は、
戦争放棄を定めた第9条
を持っていますので、
いわゆる「平和憲法」と
呼ばれることがあります。
日本国憲法の前文には、
次のようなフレーズが
あります。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。
われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。
これは、
あの悲惨な戦争を経験した直後に、
二度と同じ過ちを
繰り返してはならないとの
思いを込めて、
「恒久の平和」を
うたったものです。
そして、
憲法9条1項は次のように
定められています。
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
この憲法の戦争放棄の条項は、
ときに「時代遅れ」
「現実離れしている」と
批判されているものでも
あります。
日本が戦後、
まったく戦争をせずに
いられたのは、
アメリカの核の傘の
おかげである。
北朝鮮や中国、
ロシアの脅威はどうするのか?
日本も武装せざるを得ず、
実際に最新の軍備を備えた
自衛隊を組織し、
年間の防衛費は約6兆円で、
国家予算の約5%を
占めています。
ロシアとウクライナの戦争は
いまだに終わらず、
台湾海峡でも紛争が起こる
危険性が指摘されています。
こうした現実を前にして、
憲法の平和主義は、
「単なる理想論だ」
「現実と食い違っている」
とも言われます。
しかし、
私は、
この批判は少し違うのでは
ないかと思います。
そもそも、
近代以降の「憲法」というものは、
現実の国の姿を表現する
というものではありません。
そうではなく、
ある意味では国の
「あるべき姿」を
表現しているものです。
戦前や戦時中の日本では、
国家権力が暴走し、
国民の人権がないがしろに
されたという歴史があります。
また、
戦争によって国内外で
多大な犠牲者を出しました。
こうしたことの反省に立ち、
国家権力の暴走を抑え、
国際平和を守るといった
決意のもとに作られたのが、
日本国憲法なわけです。
ですから、
そもそも憲法というものは、
一種の「理想」を定めたもの
なのです。
「単なる理想論だ」
「現実と食い違っている」
だからと言って、
憲法は必要ないのでしょうか?
憲法が現実と食い違っているのは、
ある意味では当たり前です。
しかし、
過去の歴史を見ても、
人間というものは
「理想」を持つからこそ成長し、
進化するのです。
確かに、
今の国際社会は、
まだまだ「恒久平和」からは
程遠いかも知れない。
日本はアメリカの
核の傘に守られて、
「平和ボケ」している
のかも知れない。
しかし、
それでも「理想」を捨てては
いけないと思うのです。
上記で見た日本国憲法の
前文の最後には、
次のように記されています。
日本国民は、国家の名誉にかけて、全力をあげてこの崇高なな理想と目的を達成することを誓う
あの悲惨な戦争を
経験した私たち日本国民は、
全世界に向けて、
「恒久平和」という
崇高な理想と目的を
達成することを
誓っているのです。
現実を見れば、
いろいろと困難なことは
あります。
しかし、
理想を捨てずに、
少しでも前に進むこと、
これが大切では
ないでしょうか?
中沢さんの本を読んで、
しみじみそんなことを
考えたのでした。
それでは、
また。
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中小零細企業の顧問契約をメインの仕事としています。
中小零細企業が法的トラブルに巻き込まれるのを未然に防止すること、 そして、 情報発信を通じて弁護士の敷居を下げ、中小零細企業にもっと弁護士を利用していただくことを使命として活動しています。
【私のミッション】
中小零細企業の味方であり、中小零細企業のトラブルを「裁判しないで解決すること」をミッションにしています。
中小零細企業のトラブルが、「裁判沙汰」にまで発展すると、経営者の方にかかる時間的・経済的負担が大きく、エネルギーを消耗します。
私は、中小零細企業のトラブルをできる限り未然に防止する、万が一トラブルになっても、それをできるだけ小さいうちに「解決」することで、経営者の方の余計な負担をなくし、本業にエネルギーを傾けていただきたいと考えています。
また、中小零細企業の「お困りごと」に関しては、法律問題という弁護士の職域を超えて、経営コンサルタント(キャッシュフローコーチ)として、経営相談や金融機関融資の支援などを通じて、日本経済を支える中小企業の「お困りごと」全般のお手伝いをすることにも力をいれています。