今日から三連休が始まりました。
というわけで(どういうわけだ?)
今日から三日間
私の恥ずかしい過去を振り返る
シリーズを書きたいと思います。
(今日の「棒人間」 みんな笑うけど・・・)
<毎日更新1088日目>
人が死ぬ前に後悔することは
「挑戦しなかったこと」である
という研究があります。
つまり
やりたいと思ったことがあったのに
いろいろな事情でチャレンジしなかった
チャレンジできなかったことに
後悔するそうです。
ですから
やはり人生の後悔を残さないためには
やりたいことにはチャレンジ
しておきたいものです。
しかし
世の中を見ていますと
新しいことにチャレンジする
というのはそう簡単な
ことではありません。
だからこそ
世の多くの人が
死ぬ前に「挑戦しなかった」ことを後悔する
という結果になるのでしょう。
それだけ
新しいことにチャレンジ
するということは
ハードルが高い
ことなのです。
そして
多くの人の新たなチャレンジを阻む壁は
「自信がない」
「成功する確信が持てない」
というメンタルブロックにあると思います。
それは当たり前のことで
新しいチャレンジというのは
自分の今までの人生で
やったことがないことをやるわけです。
ですから
「自信」や「成功の確信」など
あるはずがありません。
それでは
それでも新しい挑戦をする人と
しない人の違いはなんなのか?
私は、それは
ある種の「おめでたさ」
「根拠のない自信」を持てるかどうか
だと思っています。
新しいこと
未知のことにチャレンジするには
この「おめでたさ」が必要なのです。
このことは
私自信が人生で身をもって
体験しました。
そのことを少しお話し
してみたいと思います。
時はさかのぼり
1990年代の前半。
大学に入学した私は
「希望に燃えて学問に取り組む学生」
とは程遠い状態でした。
学部は法学部でしたが
弁護士になるという志など一切なく
なんとなく就職に有利そうという
いい加減な動機で選んだ学部でした。
ですから
入学してからも
一生懸命に勉強しようとか
そんなモチベーションは
ほとんどありません。
そんな私が
大学の勉強から遠ざかって
しまうのは時間の問題でした。
授業に足を運んでみても
何をやっているのか
サッパリわからない!
しかも
法律という学問は
とにかく外見上やたらと難しく
とっつきにくく感じます。
おまけに
私が大学に入学した当時の法律は
まだ多くが旧仮名づかいの
いわゆる「文語体」で書かれていました。
昔習った「古文」みたいなあれです。
たとえば
法学部に入学すると
最初に「民法」の授業があるのですが
当時の民法85条の条文は
こんな感じでした。
当然
授業に出てもチンプンカンプン。
私は
早くも法学部に入学したことを
激しく後悔しました。
もともと勉強する
モチベーションも低い上に
こうした「壁」(?)に阻まれて
大学の授業からは早々に遠ざかる
ことになってしまったのです(笑)。
私が大学に入学した1990年代の前半は
もういわゆるバブル経済というのは
崩壊していたのですが
その後深刻な不況が長期化する
といった予想はまだほとんどなく
そのうちまた景気は回復する
だろうとか言われていました。
いわゆる失われた10年とか
20年とか言われるのは
もっと後の時代のことです。
ですから
当時の大学はまだのんびりしたもので
大学がレジャーランドであるとか
言われていた時代でした。
とりあえず大学に入ったら遊ぶのが当たり前といった雰囲気でした。
大学の授業から遠ざかる
ことになってしまった私は
当時流行していたサークル活動
というものに逃げることになります。
たまたまキャンパスの中で勧誘された
自転車のサークルに入りました。
このサークルは
自転車にキャンプ道具などを積んで
ツーリングに出かける
という活動をしており
夏休みには北海道で
合宿をしていました。
このサークルに入ってからは
普段はアルバイトに明け暮れ
休みになると自転車旅行に
出かけるということを
繰り返していました。
大学の授業にはほとんど出なくなり
当然成績も
留年ギリギリでやっと
進級できるというレベル。
この頃は
本当に自分が将来弁護士になるなんて
夢にも思わなかったですね。
そんなボンクラ学生だった私ですが
あるテレビ番組を見たことで
人生が変わることになります。
当時のNHKのETV特集という番組で
「弁護士・中坊公平
すべては現場に始まる
森永ヒ素ミルク事件」
という番組を見ました。
この番組を見て
私は大きな衝撃を受けました。
中坊公平さんというのは、
もう亡くなった人ですが、
元日本弁護士連合会の会長。
昭和30年代に発生した
森永ヒ素ミルク事件
という公害事件や
高齢者に対する巨額詐欺事件
である豊田商事事件などで
被害者救済に奔走した人です。
公害や犯罪の被害に遭った人たちの
救済のために汗を流す生き方が
あるのかと感動したのです。
特に
中坊さんの
「弱気を助け強気をくじく」
という生き方に共鳴しました。
「弱者」を助けるのが
弁護士の本来の仕事。
若かった私は
この「弱者」を助けるという
仕事に憧れを持ちました。
恥ずかしながら私は
それまで基本的には自分のことしか
考えたことのなかった人生でありました。
何か世の中のため
社会のために自分がどう生きるべきか
といったことをほとんど考えた
ことのない人間でした。
ですから
こうした大型公害事件に立ち向かい
被害救済のために尽力する
中坊弁護士の姿に感動するとともに
こういう生き方もあるのか
ということを学びました。
この番組を見た私は
自分も司法試験を受けて
弁護士になりたいという
思いが強くわいてきました。
しかし
私が司法試験を受けたい
と言ったとき
周囲のほとんどの人から
「反対」されました。
みんな
それは「無謀な挑戦だ」
と言いました。
まぁ
それはそうでしょう。
当時の司法試験というのは
合格率が2%台の
超難関試験。
一流大学の中でも
優秀な人でないと合格
できない試験でした。
ところが
私の行っていた大学は、
駒澤大学法学部。
この大学は、
箱根駅伝とかでは
有名ですが
司法試験の合格実績が
ほとんどない大学
でした。
その上
上記で述べたとおり
私の大学時代の前半は
遊び呆けていて
ほとんど勉強した記憶がありません。
司法試験どころか
進級できるかどうかも
怪しいレベル。
ですから
そんな当時の私の周囲の人が
反対するのは
当然と言えば当然のことです。
普通なら
ここまで反対されれば、
となるものです。
ところが
ここが若気の至りと言いますか
当時の私は
周囲から反対されればされるほど、
と燃えてしまったのです。
もちろん
当時の自分が「司法試験」に受かる
「自信」とか「確証」なんて
あるわけがありません。
あるのは「根拠のない自信」だけ(笑)
どうでしょう?
かなり「おめでたい」でしょう?
そんなわけで
私は「無謀」と言われながらも
周囲の反対を押し切り
司法試験へとチャレンジする
ことを決意したのです。
続く。
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中小零細企業の顧問契約をメインの仕事としています。
中小零細企業が法的トラブルに巻き込まれるのを未然に防止すること、 そして、 情報発信を通じて弁護士の敷居を下げ、中小零細企業にもっと弁護士を利用していただくことを使命として活動しています。
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私は、中小零細企業のトラブルをできる限り未然に防止する、万が一トラブルになっても、それをできるだけ小さいうちに「解決」することで、経営者の方の余計な負担をなくし、本業にエネルギーを傾けていただきたいと考えています。
また、中小零細企業の「お困りごと」に関しては、法律問題という弁護士の職域を超えて、経営コンサルタント(キャッシュフローコーチ)として、経営相談や金融機関融資の支援などを通じて、日本経済を支える中小企業の「お困りごと」全般のお手伝いをすることにも力をいれています。